lunatic, requiem, and self-destruction
「文章を書く際は自分と同じタイプの人物のものを参考にするとよい」とはかつて交流があったユーザーの言だが、これは自分も全面的に賛同するところであり、なんとなれば、そりゃタイプというのは価値観思想信条行動様式学習傾向認知パターンと、およそパーソナリティを構成している要素なら類似しているものであって、斯様な人間が書いた文章となれば当然共感を覚えやすいものであるし、事によると、あれ、なんで私が書いた文章が本になってるの?なんて経験をすることもあるかも知れない。自分と似た精神構造を持つ人間の心の声を聞くことは、孤独を抱えている者であれば癒しをもたらすだろうし、人生の羅針盤が見つけられない者にとってはロールモデルとして機能するだろう。いずれにせよ人生の先輩として学ぶべきことは多くあり、より豊かな精神世界と感受性を育む手立てとして、自分と同じタイプの作家の本を読むことは是非勧めたいところである。これは自分の経験から申している事で、自己のタイピングの材料としても重大な役目を果たしている。
とここまで書いてみたところ、ある一つの違和感が生じてしまうのは前段末尾の「自己のタイピングの材料としても重大な役目を果たしている」という部分で、これは「同じタイプの作家の本を読んでみよう」という自己実現メソッドを、タイピングの判定法として活用する場合矛盾が生じてしまう。というのは、彼らの著作を読んでいた時、僕はタイプや心理機能を通して登場人物の機微や作者の思想などを理解しようとはしていなかった。こんなブログを書くまでMBTIに取り憑かれているのになぜしなかったのかと不思議に思うかもしれないが、答えは単純で、当時MBTIの概念を知らなかったのだ。つまり「己のタイピングの材料としても~」は結果論なのである。
ここで一つ思考実験をしてみる。仮に「自分と同じタイプの作家の本を読む」ことが、確かな精度をもったタイピング法であるとして、このメソッドを実践しようとしている青年がいるとしよう。彼は当然自己のタイプを決めあぐねている。彼はまず目的を「自分と同じタイプの作家を探す」ことにして行動に移すが、自分のタイプが分かっていないので当然これは失敗する。次に目的を「自分のタイプを知る」ことに切り替えるが、そもそもそれが原初的な目的であって、どうやってもはじめの一歩目が踏み出せないことに気付き、このメソッドの提唱者、つまり僕のことを撲殺しようと企てる結末を迎えてしまう。
つまりこのメソッドは自己参照的で、「自分と同じタイプの作家を探す」が成立するのは自分のタイプが明らかになっているときであり、そして明らかになっているのであればこのメソッドは必要ない。目的が達成した状態でないと始まらない構造になっており、破綻しているのである。
とまあ大分空疎な書き出しではあるが、「自分と同タイプの人間や作品」という存在自体はとても興味が惹かれるものだし、これまでに吸収してきた諸作品が自己のタイピング材料として機能しているのは、漠然と、しかし同時に確信的な感覚※1として僕の中に在るのも事実である。この記事では「内向直観」という概念を自分の核として捉え、それの形成に資した作品や人物を紹介したい。上記では小説に絞ったが、音楽や漫画、ゲームにも言及する(むしろそちらの方が多い)。これまでに影響を受けたものは、作品にしろ人物にしろ外向直観要素や内向感情要素が感じられるものもあるのだが、紹介事例は内向直観、或いはそれに呼応する外向感覚要素が感じられるものだけに絞って厳選した。もちろんそれらのタイピングは僕の主観的判断によるものだが、それ自体を楽しんでいただければ幸いである。内向直観は他の機能と比べて言語で表すのが難しく、8つの心理機能の中でも特殊な位置に置かれていることが多いが、本稿ではフィクション・ノンフィクション問わず具体例を提示し、なるべく言葉に落とし込んだ説明を用意したつもりである。
※1 矛盾した表現だが、基本に立ち返ればSNは「非合理」機能である。在るものは在るのだから仕方ない。
本題に入る前に、昨今の状況について少し整理しておきたい。
このブログでは一貫して、今は亡き「MBTI性格タイプ論の視点から世界を覗こう」で紹介されていた心理機能で考察を試みているが、この心理機能は使用順序ごとに意識の方向(外向/内向)が反転していく、というフローになっている。ここではそれを便宜上「覗こうフロー」とでも呼んでおこう。数学は苦手でちょっと我流の表現が入っているかもしれないが、覗こうフローを集合の記述で表現してみる。以下のように定義する。
- J = {T,F} j ∊ J
- P = {S,N} p ∊ P
- D = {e,i} d ∊ D※2
※2 Direction
この定義から以下が導ける。分かりやすいようにハイフンで分割する。
j1d1 – p1d2 – p2d1 – j2d2 または p1d1 – j1d2 – j2d1 – p2d2
で、この覗こうフロー、僕の感覚値でしかないのだが、おそらく2020年以前までのネット※3では、ユーザーはこの理論で統一見解を持てていたように思う。ところが、最近ではこの基盤部分の共有が少し怪しくなっているかもしれない。
※3 とはいっても海外の事情は知らない。
MBTI公式のプロモーター的な発信をする高原雅之氏のポストだが、覗こうフローはこの投稿の最後の「謎理論」「派生理論」に該当するだろう。派生理論はまだしも、謎理論というのはどこの馬の骨とも知れない素人が作った得体の知れない理屈、とでも言いたいようなニュアンスを感じる。「覗こう」のテキストより先に公式をインストールしたユーザーは、高原氏の言うとおり覗こうフローを本家の亜流として位置付けることになると思われる。ちなみに公式のフローを先ほどの集合の定義で記述すると以下のようになる。
j1d1 – p1d2 – p2d1p2d2 – j2d2 または p1d1 – j1d2 – j2d1j2d2 – p2d2
数カ月前Xで「公式は情報商材屋と手口が同じ」という批判が少し話題になったが、依然として「公式」が持つブランド力は保たれているように思える。かつては覗こうフローを採用していたユーザーも現状に辟易してソシオニクス※4に移行してしまった。覗こうフローはもう下火になりつつあるのかも知れないのだが、このブログではこれまで通り覗こうフロー採用を継続する。それはまあ、今までこれでやってきたのだから今更変えるわけにはいかん、という非合理な理由もないことはないのだが、それはそれとして、覗こうフローには非常に優れたところがある。
※4 意義のある自己洞察をするには「現実から降りる」必要がある。以前はMBTIを活用することによってそれが可能だったが、現在は「現実」がMBTIに浸食してしまい、「降りる」ことができなくなってしまった。このような状況下で、姉妹理論であるソシオニクスはMBTIのオルタナティブとして機能していると思われます。
8つの心理機能はそれぞれ対極の性質を持つ機能を持ち、ペアとして存在している。そしてこのペアはトレードオフ※5の関係になっている。要は片方を成り立たせようとするともう片方が成り立たない。そして覗こうフローでは2対のトレードオフ関係を見出すことができる。即ち、第1・第4区間と第2・第3区間である。この内、後者の第2・第3区間のトレードオフに着目したい。
第2機能はその者のストレングスとして表出しやすいが、第3機能は使おうとしても扱い方がヘタクソで、急所になってしまいやすい。大抵はそのことに自覚があるだろう※6。普通に考えれば、第2機能を使うことを優先、第3機能は棄却されトレードオフにならないのでは、と思うかもしれない。が、なんでか分からないが、頑張って第3機能を使おうとしているシーンは少なくない。というか、案外ある。
※5 この性質は「過度に自由な二次的理解」を防ぐという役割もある。詳細は別記事にて書く予定。
※6 ミスタイプしていなければ、だが。
内向思考と外向感情のペアで一例を挙げてみると、皆の話を聞いていて、どうも腑に落ちないところがあるっていうか、この人矛盾したこと言ってない?って思うんだけど、なんか空気的にそんなことを言うのは求められてないし、水を差すのも悪いから、まあ、黙っとくか…てな具合である。
外向感覚と内向直観のペアだとどうだろうか。ありのままの現実をそのまま表現するのがいい、何故なら現実が間違っていることなんてありえないから。しかしその一方で、演出を加えた結果それが誤り※7になってしまったとしても、それでより経済が回ったり、誰かが幸福になるのであれば、盛った方がいいのではないか?という拮抗。
※7 とは言っても、NJ目線では内向直観で知覚したものこそが現実であるという認識なので、難しいところではある。外向感覚を意識しない限り、NJは自身の虚構性や誤謬に無自覚となり、常にバイアスがかかった現実認識をすることになる。内向直観がとかく危険視されるのはこういう理由による。要は思い込みや自己暗示に関わる機能なのである。
どちらの言い分も道理にかなっており、答えを掴んだような気になって一方に寄りかかっても、ほんのわずかなきっかけでまた反対側の方に意識が持っていかれ、なかなか納得がいく答えが出ない。第2・第3区間のフローは解き難いジレンマとして我々を拘束する。だからこそこのジレンマが青年期の課題として成り立ち、この難問に立ち向かうことが精神的成長の一助となり、意義と価値があるフレームワークとなるのである。これが覗こうフローの優れたところである。第1・第4区間に着目しないのは、容易に決着がつくことがほとんどで、ジレンマとして成立しないからだ※8。
※8 この区間のジレンマに陥ると神経症のような状態になるのではないかと思う。それは自我が耐えられないので、早々と主機能に軍配が上がる結果となる。ただISFPは「報酬(狭義的に言えば金)」に駆動されるシーンがそこそこあるように見受けられるので、全タイプがそうとは限らないかもしれない。
もう一点だけ述べたいことがある。僕の現在のXのアカウントは2代目であり、2024年の9月くらいまで使用していた初代アカウントではpeing(質問箱のサービス)でMBTIの質問を色々受け付けていたのだが、その中で「お前は外向感情機能が見当たらないからINFJではない」という指摘を複数もらった。INFJであることは認めつつも「外向感情が壊れている」という指摘もあったと思う。以前のアカウントでは色々な人に突っかかっていたので、そう言われるのも仕方なしだが納得はできると思うのが半分、しかしINFJと認識されていないことは不服であるというのが半分と、色々と複雑な心境だった。説明するにしても自分の存在の根幹に関わっているところだから言語化するにも骨が折れるし、そもそも外向感情が壊れていること自体自分自身苦しめられているところがあったから、深堀することに抵抗感があって説明は避けてきた。しかしいい機会なので、自分がなぜ「こう」なってしまったのかの説明もこの記事で行いたいと思う。



僕は小心者であり、生きている内の大半の時間はこの世界にビビっているし、今までずっとそうして生きてきたが、今ここでその考えを逆転させよう。つまり、僕が世界に圧倒されるのではなく、僕が世界を圧倒する。それでは珠玉の内向直観をご賞味あれ。
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