MBTIから失われたユング心理学の回復を目指すブログ

ブログの名前を変更しました

こんにちは、rememberです。ブログを開設したのが2025年の4月なので、約1年続けたことになります。SNS上での空前の性格診断ブームを背景にしたMBTIの大衆化への憂いと嘆きから始まった当ブログですが、1年経った今、状況は大して変わってません。インフルエンサーの焼き直しの考察が跋扈しているのは相変わらずで、特に恋愛を絡めた相性論などはあっという間に拡散されます。TF論争なども痴話喧嘩の話に接続しやすく火種になりやすいです。青年~成人期にかけてはパートナー獲得は喫緊の課題なので致し方ないのですが、ライト~スーパーライト層でのMBTIの取り扱い方は「MBTI without Jung」であり、ユング発祥の分析心理学の見地が忘却されています。MBTIはやりようによっては深海にまでたどり着ける自己洞察が可能なんですが、水圧で潰されそうな自己解体をしている者が見ている光景と、浅瀬で遊んでいる層が見ている景色はあまりにも落差があり、この全体図を俯瞰して描くのは容易ではありません。四半世紀ほど前に「真昼間にひっつきまくった男女の生殖器官はもういい加減どうこうもならん」と歌っていたENTP向井秀徳を思い出します。

自分としては一刻も早くこのブームが終焉してほしいと願うばかりです。「終焉のシナリオ」として考えられるのは、定番の大喜利やあるあるネタなどの投稿が限界まで加速し、あらゆるエンタメ要素が「擦られた」飽和状態に達して、「もう飽きた」「まだやってんの?」という空気が形成される、というものでしょうか。ライト層はMBTIが必要だからやっているのではなくブームになっているからやっているのであって、冷めた空気になれば去っていくでしょう。「Fと名乗っていた方が優しいと思われる」というペルソナ運用がまかり通り過ぎて、この4文字のアルファベット表記が形骸化する、なんてこともあるかも知れません。批判が根付くことも重要だと思います。MBTIとよく並置されるものに、かつて一大ブームを巻き起こした血液型性格診断がありますが、科学的見地からの批判が周知されてブームは下火になりました。MBTIもそのような道を辿ることも考えられますが、どうでしょうか。血液型診断は生物学に結び付く「血液」が起点となっていたのでまだ科学のメスが入れられる余地がありましたが、MBTIはそれがありません。心理学発祥なので学術的ではありますが、再現性の危機が問題になりやすい分野でもあり、非科学寄りの一面があることは否めません(ユングやフロイトなら尚更です)。あと血液型診断はマスメディアが一方的に発信しているものでしたが、SNS全盛期に興隆しているMBTIは(科学リテラシーが不足した)市井の人が発信しているという違いもあります。発信者同士の交流も盛んです。科学リテラシーの欠如は批判的思考の欠如に繋がり、エコーチェンバーやフィルターバブルはますます加速の一途を辿るでしょう。そう考えるとブーム終焉の兆しが一向に見えてこないような気がします。

「擦られネタ」の一例

けれども何事もトレンドや時流というものはあるものです。心理学の知見は何かと自己啓発やビジネス書に流用されがちですが、例えば2026年においてマズローの五段階欲求説などを取り上げるのは今更感があるでしょう。インターネットスラング・ミームも同様で、マスメディアが作った流行に踊らされていることに無自覚なミーハーな女性への蔑称「スイーツ(笑)」というものがゼロ年代で流行りましたが、今や完全に死語となっています。同年代では「ゲーム脳」なるものも台頭しベストセラーになりましたが、諸学者の批判が根付いた今では疑似科学として認知され、誰も話題にしていません。1999年に開設されネットの一大文化を築き上げた2ちゃんねるもとうとう閉鎖するようです。そこで生まれた独自の言語文化も廃れていく運命にあるでしょう。これらの栄枯盛衰のサイクルのスパンを考えると、何となくですが2030年代以降にならないとブームは沈静化しないような予感があります。まあこういった未来の予測は大抵の場合スカッと外れるものなので、この辺で考えるのをやめます。

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さようなら、2ちゃんねる……

それはさておき、この記事の内容はタイトルの通りです。今まで「The Typing For Existent Youths」というブログ名でやってきたのですが、いまいちパシッとしないなぁとはずっと思っていました。「Youths」は敬愛しているバンド「eastern youth」からあやかっていて、単語自体は気に入っていたのですが、長いタイトルで略称も思いつかないので、もっとキャッチーなものはないものだろうかと考えていました。

そんな最中に、ある日Xで投稿した自分のポストに東洋という単語が出現し、自分の言葉に自分でハッとする感覚がありました。

思えば自分はユング心理学から入った後にMBTIを知ったのでした。ユングは人格を発展させる上では、劣等機能を意識化することが欠かせない、という考えがあったように思います(個性化の過程)。また、自分が生きられなかった半面をシャドウと呼ぶのですが、このシャドウを自分のものとして受け入れることも重要視していました(投影の引き戻し)。ユングは東洋思想にも傾倒していたのですが、この対となる二つのものを統合させようとする視座は、正に東洋の陰陽一体の哲学の影響下にあるように思えます。

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陰陽太極図

※非常に苦しい作業です。

この考え方は自分としては「わざわざ言うまでもないこと」というくらいに、感覚的なところまで落とし込んでいたのですが(故に今まで言葉にできていなかったのですが)、いまやMBTIへの入り口はネットの大海の至る所にあり、ユングを介さずにMBTIや心理機能に入門する機会の方がずっと多いような気がします。そう考えると、ライト層には属さない、むしろライト層を批判しているそこそこ真剣にやっている人たちでさえ、このユングの思想を知らないままにMBTIに触れているのかも知れません。

要は熱心に取り組んでいる人でも「MBTI without Jung」になっているという事で、これはちょっと由々しき事態というか、盲点だったなぁと思います。なぜかと言うと、この東洋的な合一の観点はある一つの倫理としても機能すると思うからです。タイプや心理機能の優劣を免罪符とする誤った活用法というのはある訳ですが、それもこの東洋的倫理の欠如故の発想のようにも思います。対となるものと一体化する意識があれば、もっと内省的な態度が獲得できるのではないでしょうか。そしてそれこそが本来的な自己を取り戻すことに必要なプロセスなのだと私は考えます(ユングの考えは「三つ子の魂百まで」に着目する原因論です)。

※「外向直観が優位だから○○が続かないのは仕方ないよね」など。

西洋の近代科学の究極的な目的は「対象をコントロール」することであり、それは数理的な正しさはあるものの「強制介入」のニュアンスがあります。それに対し東洋的な在り方というのは、対象を無理にコントロールせず、あるがままの状態を受け入れて和合を目指すというものです。明確な答えがない状況下で手探りで真理を探究していくアナログ感があり、この感覚はMBTIのタイピングにも非常に親和性が高いと思います。タイプ論というのも概念的には陰陽五行説や風水といったものに近いのではないでしょうか(なので、科学的見地からの批判はブームの沈静化には必要かもしれませんが、本質的には筋違いではないかと思います)。

以上の事から、この「東洋」という概念を当ブログの「錨の下ろし先」として再設定し、理念を以下のように改めます。

  1. 東洋の陰陽一体の思想を基底とし、対となる機能への合一を図ること
  2. 実在する人間をタイピング対象とすること。しかし、タイピング内容が青年期の課題解決に十分寄与できるものであれば、非実在青年でもタイピング可とする
  3. タイピングを人間関係攻略のためのペルソナ形成に資することなく、青年期の課題(自分は何者であるのか)解決に向けて活用すること。すでに課題が解決している者は、課題を抱えている者の解決の手助けとなるようにMBTIを活用すること

そして、これらの理念から当ブログのタイトルを

に改めることにしました。理念は「はじめに」で述べたものに東洋思想をプラスしただけで、基本的なスタンスは変わってません。まあでも、心理機能というフレームワークにおいてこの陰陽一体の思想を実践するのは、一般ウケはしないでしょうね。なぜなら劣等機能と向き合うのは超克的求道的な行いであり、修行のような過酷さがあるから。自分の経験則でしかないですけど、自己解体は勇気がいる作業です。「統合」「合一」などと述べましたが、おそらくその前段階で「対決」を経ると思います。フロイトもユングも精神分析は危険と看做していたフシがあるのですが、言わんとすることは何となく分かります。


あと、先に取り上げた自分のXのポストでMBTIによく似ているソシオニクスについて少し触れています。MBTIの心理機能に該当する概念をソシオニクスでは情報要素と呼ぶらしいのですが、どうもこの情報要素は機能の対極性が存在しないようです。同じ記号表現(TeとかNiとか)を使用しているのですが意味が微妙に違っていて、ペア設定ができないんですね。つまりソシオニクスだと陰陽一体の思想が適用できない。あまり周知されていない知見だと思うんですが、これは理論運用の方向性の違いを決定付ける重要な部分だと思います。MBTIはユング心理学を継承している以上、「個性化の過程」、広義的に捉えれば自己実現・自己創造を目的としている理論と看做すことができますが、心理機能の意味を変更し、ユングは提唱していなかった相性論、果てはフロイトの自我、超自我、イドまでをも取り入れたソシオニクスは、思想的な背景が不透明なものになっている。まあここは私のリサーチ不足かも知れません。何か意見がありましたらコメント頂けると助かります。

それと、ソシオニクスは「ロシア(旧ソビエト)が支配しやすい国民性を育むための政治的利用ツール」であるという面白い指摘をしているブログが存在するので、当記事の末尾に埋め込んでおきます。是非ご一読ください。私もソシオニクスには言いたいことがあるので、批判の記事は年内にでも仕上げようと思います。

以前の記事では「このブログの存在の周知は控えてほしい」と格好つけたことを言っていましたが、今となってはもっと多くの人に読んでほしいというのが正直な気持ちです。少しでも面白いと思ったらSNSでシェアして頂けると幸いです。自分にとってMBTIは聖域のようなものだったのですが、現状の扱われ方には本当に辟易していて、よく壊してくれたな、という激情に駆られることもあります。けれどもそういった感情はなるべく抑え、この類型論で感得した自分の意味経験、そして奥深さを伝えていければいいなと思っています。よろしくお願いします。

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