管理人のrememberです。この記事では、MBTIの定義の問題はひとまず棚上げします。
私がMBTIを知ったのは2018年ごろ、はじめはユング心理学から入門し、やがてMBTIを知るようになりました。私はこの性格類型論の深遠さに魅了され、人間への様々な考察を続け、今に至っています。
MBTIは科学的なエビデンスに欠けるという批判はあれど、この類型論によりそれまで不確かだった自己の輪郭がつかめたというのは実感としてあるし、人間理解の一助として大いに役立つものだと考えています。そして何より、このMBTIがなければ絶対に繋がりえなかったような人たちとも交流することができたことが、自分にとって類い稀な経験となりました。そこで行われた対話は自分の財産となっています。私はこの類型論に想い入れがあります。
【ブログ発足の経緯】
今でこそMBTIは就職活動にさえ利用されるほど知名度が上がった存在になりましたが、おそらく2022年以前までは今ほどの認知度はなく、知ってる人だけでひっそりとやっていたような空気感だったと思います(2018年のころは誰も公式の話などしていませんでした。少なくとも私の周りでは、ですが)。
MBTIはユング心理学をベースにしている類型論であり、有名になる以前は心理学や人文学などの学問的見地から考察される人がいたように思います…いや、正確に言えば、何かしらの学問を修めたであろうー一定の知的水準を満たしているー人たちが、少なからずそこにいて、人間を考察していたように思います。
ところが、Xにおけるインフルエンサーの情報発信や、MBTI自体の知名度の向上に伴ってユーザー層がZ世代にまで拡大したことにより、学問的見地からの考察はほぼほぼ失われてしまったように感じます。インフルエンサーにしてもZ世代にしても、彼らの情報源は身の回りの友達や異性の交際相手であり、その対人関係の中でどう円滑に立ち回るか、相手が求めているのは何でどう応えるのが正解であるのか。そういったコミュニケーションの問題解決が主眼となっているように思います(MBTIに恋愛の話を絡めればほぼウケるような状況です)。
また、16Personalitiesのキャラクターを使った二次創作やファンアートも増大しました。これらの作品への考察(例えばこれらのキャラクターがユーザーの自意識に及ぼす影響、など)は多岐に渡るのでここではすべてを述べませんが、各タイプの特徴を端的に記号化した概念は強力なコンテキストを有しており、ある一枚絵の背景にキャラを適当に配置しただけで、受け手側はそこに何かしらのコンテキストを見出してしまう認知プロセスがあるように思います。Xでは16Perのキャラクターをアイコンに設定しているアカウントもよく見かけますが、アイコンには本人の自意識が少なからず反映したものになっているでしょう。自分の自意識が宿ったキャラクターが描かれる二次創作は、通常の創作とは異なる認知作用があるのではないでしょうか。
そういう創作やファンアートを否定するわけではありませんが、ネタやエンタメとしてしか消費されていないことが口惜しいし、作品としても、いや作品と呼んでいいのかと思うくらい稚拙な表現を多く見ます。「実録」と称して日常の何気ない一コマを切り取ったような漫画もよく散見させられますが、基本の起承転結の体を成していない作品が大半であり(応用的にあえてハズシをしているというわけではない)、キャラクターが持つコンテキストに依存しきったものだと言えると思います。また本当に「実録」なのかも疑問です。
あるあるネタもよく見られます。実際の人間を観察した結果の産物であるなら、類似現象の把握は人間理解の知見として有益かと思いますが、いかに面白いことを言えるかの大喜利と化している面もあり、そこには「想像」が組み込まれてしまっています。想像力は人間の素晴らしい能力であることに異論はありませんが、「誤り」が入り込む可能性があることに自覚的でなければ、現実と乖離していることに気付くことは難しいでしょう。多少の想像力があれば「それっぽい」ことは容易く言えます。しかしその「それっぽい」ものは、確かに実在している私たちを本当に的確に捉えているものなのでしょうか?
焼き直しの考察を量産するアカウントも見受けられます。(いいねがたくさん付く)同じようなことを言い続ける動機は承認欲に他なりません。人口が増えたことによって、MBTIは承認欲を満たすことができるようになりました。これがZ世代であれば「かわいいもんだな」と、看過するのが大人としての態度だと自分に言い聞かせることも可能ですが、青年期半ばを過ぎた人間がやっているとすると、さすがに誤った活用方法だと思わざるを得ません。
自己の存在基盤を掘り返したり、普遍的な人間理解を試みようとする者はマイノリティになり、MBTIは青年たちー或いははもう青年期の終焉に差しかかった者たちーの承認のための食い物にされてしまった。これが今現在、私の眼に映っている世界です。この類型論に魅了された者として失意の念を禁じえません。
【このブログの理念】
私がこのブログで何をしたいのか、つまりはこのブログの理念を以下に述べます。その前に、文章を簡便にするべく、勝手ではありますが用語の定義をします。
「タイピング」
MBTIの理論・フレームワークを用いて、対象となる人物の心理的機序や動機を考察・洞察すること。この考察・洞察に、タイプを確定させる最終プロセスが含まれているかは問題としない。
「非実在青年」
想像力によって作られた、実在しない、或いは実在しているかどうかわからない人間。
私が考えている問題点は以下2点。
1.MBTIが人間関係を攻略するための道具と化している
2.非実在青年が考察の対象となっている
これらの問題に対し、それぞれ以下を対抗案とし、このブログの理念とします。
1.タイピングを人間関係攻略のためのペルソナ形成に資することなく、青年期の課題(自分は何者であるのか)解決に向けて活用すること。すでに課題が解決している者は、課題を抱えている者の解決の手助けとなるようにMBTIを活用すること。
2.実在する人間をタイピング対象とすること。しかし、タイピング内容が青年期の課題解決に十分寄与できるものであれば、非実在青年でもタイピング可とする。
自分が何者なのか、この世界にどうアプローチしていけばいいのか、わからない。MBTIがそのような想いを抱く人たちのよすがとなるよう、このブログを運営していければいいと思います。それではよろしくお願いいたします。

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